長い3週間の家の工事の間、京都に行っていました。
もしも実家が地方にあって広ければずっといられるのにと思いましたが、都内のホテルもインバウンドと円安の影響で長く滞在できる状態ではなく、思い切ってこの期間を使い出身地の関西に行って過ごすことにしました。
途中で故郷の大阪にも数泊して、88才の母と兄夫婦、長いお付き合いの友人たちにも会いました。母は会う数日前に体調を崩したと聞いていて心配しましたが、会えばとても元気で兄夫婦と一緒に食事もして、老いはあったものの私に会ってとても喜んでくれてお喋りをしました。翌日にもまた二人で会い、帰りは送ってくれた駅の改札のゲートの内側と外側とで温かなハグもしました。あまり間を空けずに、また母に会いに来ようと思いました。手持ちのジュエリーを分けてくれたりもしました。
一人で関西に出掛けたのには、もう一つ理由がありました。実は3月に耐え難いほどの悲しい出来事があって、とてもそのことを受け入れられる気持ちではなく私には時間が必要だと思いました。関西の言葉に”日にちぐすり”というものがあって、時間の経過が心の傷を癒すと言う意味なのですが、そんな時間そして空間が必要だと思いました。
5月に家の不動産決済が終わって都内に残る家人とは別にそのまま新幹線に乗って京都に行き、毎日京都のあちこちを散歩しました。馴染んだ関西の味覚がぼろぼろにささくれ立った心をゆっくり解きほぐし、毎日5kmほども歩いてホテルの部屋でぐっすりよく眠りました。京都にいる間には昔からの友人がホテルに泊まりに来てくれたり、京都に住む友人と会ったりもしました。傷ついた私の心は息子とのことが原因でしたが、友人たちは私と一緒にそのことを考え、私の心に寄り添ってくれました。
京都の滞在中にはリノベーション業者から毎日のように工事の進行具合の連絡や建具と資材のサンプルが送られて来たり、室内の写真も送られてきました。そんな日々のことをThreadsに毎日綴りながら、気持ちの整理が出来るようにも少しはなって、京都と新しい家のことを考えるようになりました。
“家族の絆”とよく言われます。それは素晴らしいことなのですが、人それぞれ多様な人生があって『こうあるべき、こうでなくてはならない』ということはないのではと、今は思っています。息子にも、何かに気づく時がいつか来るかもしれません。人の心を踏み躙ることは、やはりいつか顧みることをしなければならないはずです。
今はまだまだ無念な気持ちがもたげますけれど、新しい家や暮らしや部屋に馴染むことで、これはきっと神さまが与えてくださったものだと感じています。
長いdiaryになりましたが、ようやくこのことを書けるようになりました。中途半端な気持ちでは、私が大切にするLeJに向き合うことが出来ずにいました。
関東地方は今日が梅雨明け。夏真っ盛りとなりました。
画像は先月8日に撮った下鴨神社の『蛍火の茶会』の日に見た十二単の舞い。正式名称は賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)。葵祭が催される糺の森(ただすのもり)はことのほか美しく蛍がいました。
夜の、雅楽も演奏されながらの古に触れる静謐なひとときでした。Instagramのストーリーズには動画を載せています。あと数時間は残ります。
京都のまちには、感謝の気持ちがいっぱいです。











